タイトルがかけないってことはわかってないってことだ

以前、ケータイ小説の大賞(?)をとった小説を読もうとしてみて挫折し、「歳とったなぁ...orz」と思ったことがある。
「おれ おまえ ともだち これやる」みたいな文章を延々と読めるかい!(笑)
まぁ、それはそれでおいといて。

お前らは「世界にひとつだけの花」なんかじゃない。単なるバカだ。

ネット文化が読者投稿を失くさせる?(旧題:ネット文化が編集者を失業させる?)

上記はしばらく前にアンテナに登録して、時々読ませてもらってるBlogとそのエントリが引用しているBlogの記事だ。
普段、チラシの裏に書くような文章を垂れ流してる身としてはちと耳に痛いエントリではある。

読んだエントリのなかで引用されているコメントに、「生の声が当たり前で編集されたものは異質」というような意味のものがあったけど、まぁ、それはそうかもしれない...と思いかけて...。

「生の声」ってなによ?

Blogに書かれている日記や考察なんかが「生の声」なの?
自分も含めて、Blogなんかを読んでると「何かを言いたい(訴えたい)」わけではなく、ただその日その日の感じたこととかやったことの羅列みたいなのが多いような気がする(あくまでも私見)。
一見なにかを訴えている風でも、結局なにが言いたいのかわからなかったりとか...。

もしかして、書く側も読む側も、「何を言いたいのか」を読ませよう(読み取ろう)としなくなってきている?
こういった文章を書こうとするとよくわかるんだけど、素人は意外に自分が言いたいことってきちんと文章にできない。
自分の中で整理したつもりになってても、いざ文章にしようとすると途中で何を言いたいのかわからなくなったり、書き始めと途中で言いたいことが変ってたりする。(そんなのはお前だけ!ってか?)
自分の訴えたいことを「わかりやすく」「的確に」文章にするというのは、技術だと思う。
そしてその技術は外に向けた文章を書く物書きのプロにとっては必須の技術なんだろう。IT業界のSEに「相手の意図を汲んで」「的確な提案をする」技術が必要なように。

ずっと前、同人活動をやっている女の子が身近にいたんだが、世間話をしていたときに彼女が言った言葉が強烈に印象に残っている。
「私達はプロになるのはいつでもなれる。でも自由にやりたいからわざと同人でやっているんだ。今プロで活躍している人たちよりずっと上手にかけるんだ。」

AntiSeptic氏のエントリのコメントにy_arim氏がコメントをつけているが、その中の
> プロ軽視みたいな風潮がけっこう腹立たしい思いなのは間違いない。
まさに、だと思う。

最後に、結局自分も同じ穴の狢だということを再認識。嗚呼...。